フリーエンジニアを目指すプログラマサポートガイド

趣味を仕事にしてフリーエンジニアになったプログラマの体験談!

フリーランスプログラマになるまでの体験談

「好きで好きでたまらない」プロフェッショナルへの道を突き進む上で、この気持ちに勝る原動力はないかもしれません。IT業界で活躍するエンジニアの中にもそういう人は少なくありません。好きだからこそ学ぶことも苦にならず、あらゆる知識と情報を趣味として吸収してしまう、そんなエンジニアたちです。ここでは、ゲームが大好きな少年がやがて大人になり好きなゲームを通じてプログラマになるまでの体験談を紹介します。


ゲームプログラマという選択

幼少時代は普通の子供と同じようにゲームが好きで、一世を風靡したあの「ファミコン」世代でもあり、気がつけばゲームで遊ぶという毎日でした。この頃からのゲームの進化は目覚しいものがあり、スーパーファミコンやプレイステーションといったものが次々と開発され、同時にドラゴンクエストのようなRPGのゲームが非常に人気でした。次々に登場する新しいゲームの世界に夢中になって遊び、ゲームと共に成長していきました。
この頃からこういったゲームに携わるような仕事を希望し、一旦は電子工学系の大学に進学します。しかし電子工学では電流計算などの分野が多く違和感を覚えました。人生を決めたのは大学5年目で、親の反対も聞かずに大学を辞めてすぐにゲーム専門学校へと入学し、資金はアルバイトの貯金を切り崩しながらの勉強で、ゲームプログラミングの基礎から実践までを徹底的に学び25歳で夢であったゲーム開発会社での就職となりました。そして配属先のモバイルアプリの開発チームでは自分一人で当時の携帯電話(フィーチャーフォン)のアプリを担当し、作業が深夜まで及ぶ事も日常茶飯事でした。それでも月に1本のペースで淡々と仕事をこなし、とても充実の日々を送っていました。

エンジニアへの転換として大事な思想

フリーのエンジニアになろうと考えた時期は、専門学校時代から。その思いを温めながら30歳で独立しました。完成したものには興味がないという思考があり、コンシューマーやソーシャルでの開発プロジェクトなど大ヒットを記録するものに対しても、特別な思い入れはありませんでした。
常にゲームを作る過程に興味がいってしまい、どんな時でも技術的な話をしてしまう、いわゆる変わり者でした。
現実には体力的にもかなり辛い部分も出てきますし、色々な難題や問題点といった技術的な面でも苦労が多いという印象が強い仕事ですが、辞めようと思った事は一度もありません。ゲームが完成するたびに、次への制作の意欲へと繋がります。

終わり無き努力

エンジニアとなった今では趣味のゲームよりもプログラミングといった勉強の時間を増やすようになりました。現状では決して満足しないことを肝に命じています。最近の注目の言語として「Haskell」ハスケルというものがありますが、これは先進的な関数型のプログラミングでアカデミックな性質をもっているもので興味をひかれています。この他にもビックデータといったデータ処理という分野も気になります。
少年の頃にゲームが与えてくれた夢は今、ゲームの枠をこえて新たな目標を与え続けてくれています。

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